月曜日, 1月 29, 2007

おさんぽ


昨日、川沿いを散歩しました。もう春の匂いです。いろんな鳥がいましたが、鴨とすずめと烏しかわからないなんて・・・山育ちがすたるなぁ。昔は野草や木や鳥の名前はまかせて!って感じだったのに。ほっぺが白いからほおじろ?なんて安易に考えた鳥は結局名前もわからないけど、グレーっぽい体から羽を広げたときにのぞく白い色が綺麗でした。鷺のすっとした後姿も美しかったな。とりあえずちゃんと撮れたのは、鴨だけ。

金曜日, 1月 26, 2007

レコーディング

2日間のCDレコーディングが終わりました!今日の録音中は、ときどき外からドーンと大きな音が鳴り響いて、うまくいっていたものも録り直さなければいけなくなったりしましたが・・・音が遮断されたスタジオでの録音でない限り、これもよくあること。このホールは本当によく響くので、近所でやっていた工事の荷おろしの音が共鳴したらしいということでした。なにはともあれ、大体順調にいったかなと思います。6月初旬頃の発売になると思いますので、詳細、またお知らせします*

水曜日, 1月 24, 2007

最近空ばかり撮ってたので・・・

午後から、三鷹のホールにリハーサルに行きました。駅からホールまで15分ほど歩く道がなかなかおもしろいんだけど、 いつも気になる3軒がこちら:お寿司屋さん、貸本・売本の店、そして「まほろば珈琲店」という泣かせる名前のアンティック調のカフェです。思わずハシゴをしたくなるではないですか?貸本・売本なんてまるで70年代のようだし。
・・・そういえば、あるおじサマに借りた林静一「赤色エレジー」をまだ読んでなかった。明日の移動のお供は、「ローマ人の物語」を一休みして、これにしちゃおう。

月曜日, 1月 22, 2007

みっけ。


空と木を眺めるのが好きな私。
門を出てふと顔をあげたら、小さなエネルギーの発信源を見つけました。

流れていく時間をどう歩くか?

大寒前後、寒かったですね!でも、昔ほどではないなと思うのは私だけでしょうか?頭や耳の奥が痛くなるような寒さって、東京ではもうほとんど感じなくなってきていますよね。もうセアカゴケグモも住んでるんだしなぁ。マラリアを媒介する蚊の大繁殖も時間の問題か・・・

ひと練習したあと、サドルをめいっぱい高くした自転車で、用事を済ませにいきました。空気はからっとしてるんだけど、まだ濡れている日陰部分のアスファルトとか、野菜を収穫したあとの畑とかから発散されてる、ほどよい湿気が気持ちよかった。自転車をバイク(もしかしていまどきの若者は“バイク”なんて言わないのか?)のような感覚で飛ばすのも好きですが、今日は、頬にそよぐ風のジャストフィットな感覚を楽しまないのはもったいないと思ったのでゆっくり走りました。

ちなみに音楽家にはスピード狂と食いしん坊が多い、とよくいわれます。私は車を運転しないので、せいぜい自転車で。それかジェットコースターですね。ちなみに人の飛ばす車に同乗するようなスリルはごめんです。


日曜日, 1月 21, 2007

ブレリア、ソレア、アレグリアス!

昨日の夜中、せっかく書いた文章ですが公開したらどこかに消えました。がっくりです。仕切りなおして違うこと書こう。

今、一番緊張するのが実は、フラメンコのクラスです。やること覚えること気をつけることがいっぱいあって、まだまだ新米の私は、その日得た情報を整理しきれないままクラスが終わってしまうということも多かったのですが、昨日はすこ~しだけ、身体の使い方を身体自身がわかり始めたような気が。そうなると俄然、楽しくなります。私はやっぱり、ピアノを弾いていなかったら踊る人だっただろうなぁ。音楽の演奏と舞踊も、共通点がたくさんあって、腑に落ちること、大いにうなづくことばかり。まぁいってみれば、たとえば演奏と陶芸だって共通点ありありでしょうけどね。
昨日もパワー全開だった先生のおとばしになる檄も気持ちよく、「自分を抹殺するような身体の使い方するやつは、もう破門だーっ!」のお言葉に「・・・素敵!」と思ってしまいました。マゾだな。

木曜日, 1月 18, 2007

モーツァルト考は続く

昨夜、モーツァルト演奏をするにあたっての疑問点を確認するため、小川京子先生宅へ。海老沢先生もいらっしゃればと 思ったのですが、ガレージには車がなくご不在のよう。(海老沢先生のバイタリティは怪物的です。)

ちょっと質問させていただこうというつもりでお寄りしたのですが、ロバート・レヴィンさんの即興なども検討しながら、結局2時間以上にわたり演奏を聴いてくださいました。久しぶりに弾く先生のベヒシュタイン・・・美しい音です。学生時代は心・技・体が一致せず(気持ちばかりが先走り)、いろいろなピアノに対応できなくて右往左往していたのが懐かしい。
となりのスタインウェイで「こういうところ、ショパンなら絶対こうよね、」とメランコリーたっぷりロマンティックに弾いてみたり、「このロンドで昔、止まらなくなってほんとに“ロンド”になっちゃってね・・・ほらこんな風、」と即興なさったり、相変わらずお茶目な先生です。

日々を生きながら少しずつ変化している、私のなかのモーツァルト像。モーツァルトは聴きやすく、癒される・・・というけれど、「小奇麗」なのでは決してない。レヴィンさんのおっしゃるように、やはり大きな意味では「人間社会を映して」います。その“人間社会”は、何百年たっても多分あまり変わっていなかったりするので、モーツァルトを今も演奏する意味があると思うのです。
「モーツァルトの音楽は、彼自身とは別次元で鳴っている神の音楽であり、実生活と生み出した音楽とにはあまり関係性がない」といわれたりするけれど、本当にそうかしら?・・・
実際のところは、彼自身もやはり生身の人間なのであって、そのこころは疾走する音楽のあいだにも投影されている、と、演奏する私は思いたいのでした。

水曜日, 1月 17, 2007

班女

東京芸大千住キャンパスに、「班女」三島由紀夫作~近代能楽集~を観にいく。
演出をはじめ、ほとんどのスタッフが学生による舞台。授業発表の一環で、学生の中には役者希望もかなりいるらしい。先週の授業で「よかったらぜひ、来てくださ~い」と、いつものほんわかムードで案内を渡してくれた彼女が、思いのほか本格的な演技をみせている。「待たない女」は「待ち続ける女」を虜にし、世界から逃避して生きている。

ときどき、目が入リ過ぎて職人的な“演技”を見せられるとどうも入り込めず、楽しめないこともあるけれど、みんな素直でよかった。それだけにストレートに感じ入ってしまい、20分の休憩が待てなかったわけではないのだけれど、イヨネスコ作「二人で狂う」によって学生が翻案・構成・演出をした演目のほうは失礼してしまった。

さっき聞いた台詞が、耳の奥でくすぶっている。

「待てない人は、逃げるのよ!・・・私は、待つの。待つ。待つ・・・

演技ができる舞台を持つ「役者」は幸せだ。終われば日常に戻ることができる。そして幕があがれば、また違う人生を・・・でももし、日常そのものが演技になりかわってしまったとしたら。信念?信仰?そんなものでもあれば、続けられるとでもいうんだろうか。そしてそこに、観客はいない。あるいは観客までも内包し、世界を抱えたような気分にでもなるのだろうか。

確かな自分を結ぶチャンスも逃がしたような日は、きっといつまでもピアノに向かうしかない。
逃げ込んでなんかいない、と言い聞かせながら。

火曜日, 1月 16, 2007

99年目

日曜日はおばあちゃんの98歳の誕生日でした。ずっと覚えていたのにうっかりして、お祝いファックスを送ったのは次の日に なってしまいました。前より寝ている時間が多いけど、同居している家族がみんな風邪をひいてもひとり結構元気でいる、すごいぞ明治生まれ。

お正月にちょっとだけ帰省したとき、「この子誰だかわかるでしょ?」と私を指さし訊く母に、静かに首を振ったおばあちゃん。あらら。ほとんど帰ってないから無理もないか。毎回若返ってるしねっ・・ってあくまでもポジティヴシンキングな私。そうはいってもちょっと悲しい・・・小さいころとってもかわいがってくれたおばあちゃん。もっとおばあちゃん孝行しなくちゃと思いました。

月曜日, 1月 15, 2007

みんなありがとうの週末。

土曜日は、フラメンコクラスの仲間で新年会。(阿佐ヶ谷の中華、店内にスペインの音楽が流れていたのは何故?)
クラスのあとにこうやって集まってみたのは初めてだったんだけど、ひとつのお皿から、みんなでとりわけながら食べて、適度にお酒も飲んで、わ~っと話して・・・女だけの会がちょっと新鮮でもあり、とても楽しかったのでした。コースのあとも追加でお料理を頼んで、もちろんデザートまでしっかりいただいておきながら、やけに盛り上がった私たちはそのまま人気のケーキ屋さんになだれ込み。(ここでもスペイン語の歌が流れてた。べサメ・ムーチョのボサノバヴァージョンとか。)しっかり大きいケーキを全員完食し(だって踊ればおなかがすくでしょ~)、年齢や環境を超えて友情が芽生えた感じが、なんだか嬉しかった私。食べるって大事だ!たとえ40度の熱でも食欲が衰えることはめったにない私が、ここのところものがのどに通らない状態だったのですが・・・この夜をきっかけに回復。

翌日、パスカルさんに「シュラスコあるの~来ない?」とディナーに呼ばれたので、ワイン1本持って訪問。やってきてまだ数日、かわいい5ヶ月のミニダックスが待っていて、しょっぱなから顔なめられまくりでした。大体、犬には初対面からとても好かれるんですが。しかし名前が“ぺぺ・ゴンザレス”っていうのは・・・あんまりでは?

土曜日, 1月 13, 2007

しあわせのひとつ


今日の太極拳。気のせいかもしれないけど、ちょっとだけ、世界の一部になれた気がしました。ためこんでいたエネルギーが、ふわりと風になでられて空に溶けていった。でもそれは行ってしまったんじゃなくて、一緒になった感じでね。 なんだか泣きそうでしたね。しかも全然、寒いと感じないのだ。この私が、冬の朝に外にいて温かいってどういうこと?
今日は身体の日。さてフラメンコではなにが起きるのか?

木曜日, 1月 11, 2007

ポスト・モーツァルトイヤーに

美味しい上海蟹を食べに行こうという誘いをお断りして、夜からモーツァルトばかり弾いていました。
本当はいろいろバランスよく弾いたほうがよいのだけど・・・というのも、例えばスペインものを弾く私とモーツァルトを弾く私では別人格があらわれているし、音色も重みも表現するための奏法も違う。だから一方だけに集中してしまうと、身体がそういう仕様になってしまって、なにかが偏るような気がするんですね。最終的に演奏会プログラムにのせるものは向き不向きも含めて取捨択一していくとして、やはり普段はいろんな時代・スタイルの曲を弾いていたほうがいいと思いますよ、皆さん!

でなぜ、私はいまモーツァルトを弾いているのか。モーツァルトイヤーで日本中が狂騒した年が、よりによって過ぎたあとに?・・・ひとつは、私の天邪鬼精神にあるでしょう。そして、人様から難しいよといわれ、また自分も難しいと思っていたことへの挑戦でもあります。
モーツァルトっていうのは、心が濁っていると最初の一音でそれがばれてしまう!という恐ろしさがありますが、逆に言えば、弾けば弾くほど純化されていくということになるかもしれませんね。「そこにはただ、音楽がある。」というある意味単純なところが、これだけ普遍的に愛される所以のひとつなんでしょうか。

そんなふうにモーツァルトと向き合いつつ、明日は、手塚治虫さんの虫プロによる、知られざる「親子で見れない」アニメ作品を観に行っちゃおうかと思ったりしています。

火曜日, 1月 09, 2007

猫も私も飛びたいのだ


そろそろお正月ムードも消えるころ。今年からの計画をあれやこれやと頭に描いては消し・・・忘年会新年会続きで緩んでいた私も、ちょっとシリアスになってきました。このごろ、 ジャンプするタイミングを待っているときのようなエネルギーが湧きあがってきているのに行き場がなく、もやもや、むずむず。
ガラスの向こうの鳥のから揚げをじ~っと見上げる猫に、共感を覚えましたので。むずむずしてたよね~きっと。

月曜日, 1月 08, 2007

永遠に青春の人

建築家・沢(くるみざわ)成明さんから、年頭恒例、活動報告を兼ねた長いお便りが届きました。私が6歳くらいのとき実家をデザインしていただいて以来、と数えれば、とても長いおつきあいの歴史となるのですが、実際にお会いするようになったのは、四半世紀のブランクを経た最近のこと。じたばたせずとも、つながる縁はいつか必ずつながるのだな、と感じています。

多才でバイタリティ溢れる氏、建築は自分の心、生活の規範とおっしゃり、年齢を重ねてなお若く、精力的に動いていらっしゃいます。お便りに書かれた数々の昨年の旅話の断片、その行間から、氏にとっての「建築」はきっと世界のすべての現象につながっているのだ、と感じとりました。日本にいついらっしゃるのかと思うほど、世界を飛び回っていらっしゃるのだけれど、そのお仕事の中で、自然や環境、そしてそこに生きる人々とがっちり向き合い、考え、そして行動をおこしている。その身軽さと奥深さの絶妙なバランスは、私の理想とするところです。

「犬小屋から高層の建築まで、すべての空間の相談にのって、2007年も動き回りたい。」と締めくくられた文章で、音楽に携わる者としての私の精神もなんだか自由になったようでした。
今はもうモロッコなのかな?・・・年に何度も行かれているヒマラヤ、いつかご一緒したいです。

日曜日, 1月 07, 2007

賢者は町にやってこない

昨日6日は、三賢王の日。スペインでは、3人の賢者たちがイエスに会いにやってくるというこの日までがクリスマスです。大通りには華やかなパレードがやってきて、このころとっても寒いんだけどみんな外へ出て楽しみます。キャンディーなどのお菓子も撒かれるのですが、自分の子供や孫のためなんでしょう、必死の形相で拾い、時には取り合いまでしている大人が・・・コワいです。

毎年恒例の福袋争奪戦も、いつ見ても恐ろしい。「お譲りします」が髄までしみてて、もとより物欲があまりない私は、絶対に行かないあんなところ。と思いながら、福袋をかっさらっていく人々の表情をじっと観察しているという・・・悪趣味かな。

同じような光景でも一緒くたにできないのが、飢餓に苦しむ国での、食べ物や水の取り合い。やせ細って生きるか死ぬかという瀬戸際での光景を、何もできずに遠くで見ているだけというこの悔しさ。どうして自分は“こちら側”に生まれてしまったのか、という思いを、子供のころからずっと引きずっています。

土曜日, 1月 06, 2007

ま。

昨日は夜中1時ごろから、アニメで世界最初の傑作を残した天才・ウィンザー・マッケイの貴重な35mm作品が集められたDVDを観始めてしまいました。1911年のLittle Nemo、1912年のHow a Mosquito Operatesとか初期のものが新鮮でしたね。すごい。手作りのものって夢がある。間(ま)、奥行きがあるっていうかな。

何事においても、“間”のとり方にセンスがあらわれると思うんです。そもそも“間”がなかったりするともう、「がっかりだよ~!」です。音楽でも、休符のところでは音は鳴ってないわけなんだけど、本当はそこにも「音楽」があるんだな。そこを感覚的につかんでいないと、いくら音を創りこんでものっぺらしたものになる。絵でも映像でも踊りでも漫才でも・・・同じでしょ。

こんなアニメを見て、寝ればいいのになにか作りたくなってしまい、なにか手っ取り早いもの・・?と思いついたのが、抹茶ババロア。(今朝冷蔵庫から出したそばからひと口食べちゃったから、こんな形に。)
案の定、寝坊して、太極拳初日をとばしてしまった。心地よい雨音のせいにする私・・・でも本当は、反省してます。

木曜日, 1月 04, 2007

気分を変えよう

「ここだけの話だけど、お前本当は、聖者なんだぜ」
「え~っマジで?」

とまどうときは

久しぶりに井上陽水のアルバム「Re-View」を聴いていた。音声を消していたテレビニュースに映ったのは、流出したというフセイン元大統領の死刑執行時映像。思わず顔をゆがめると、曲は「とまどうペリカン」にさしかかり。少し向こうで、今日3回目の洗濯機の音。

この奇妙なトライアングルにはまり、思考停止。詞に歌われている世界だけが、やけにリアルに感じられる。


こういうときは、ピアノだ。揺らされたときはただ、ピアノを弾く。
それが自分を調律できるただひとつの、確実な手段なのです。

水曜日, 1月 03, 2007

小江戸散歩

古いお札やお守りを納めに、思いたって川越・喜多院に行きました。1年半ぶりに、五百羅漢にも対面。夕暮れの空にシルエットが濃くなっていった蔵の町は、とてもよかったです。日没直後に見えた月は、桃色で大きかった。

ゆったり散策を楽しんで帰宅。家までは、電車で30分+徒歩20分、近いもんです。散歩がどう影響を及ぼしたのか、ピアノを弾いていて気が変わり、CD収録予定の曲目をまた変更してしまいました。あぁまた曲順を考え直さなくては。

夕食後、塩野七生さんと五木寛之さんの対談番組を正座して拝見。塩野さん、「ローマ人の物語」完結おめでとうございます!そして素晴らしいお仕事を、ありがとうございました。

火曜日, 1月 02, 2007

2007年、地球はまだ回ってます

あけましておめでとうございます。皆さんどんな新年を迎えられたでしょうか?

私はつかの間の里帰りからまた、東京に戻ってきました。桐生ってそんなにいなかではないのですが、イノシシが庭のゴミを荒らし、裏山ではムジナが人を化かし(ほんまかいな)、ちょっといけば熊も出る。私にとってはそれが、人間の住む自然な環境だったわけです・・・。そして冬の楽しみは、空でちらちらと瞬く星を飽かず眺めること。あぁ落ち着く。と同時に、畏れの感覚。
やっぱり、人間はときどき空を見たほうが良いと思うなぁ・・・

ところでこのブログ、ちょっと前からコメントが書けるようになってるんですけど、もうお気づきでしょうか?皆さまの書き込みをお待ちしております~*

左は、帰郷する車窓から。