昨日は、なんと日本に帰国して初めて、映画館へ行きました。スペインでは映画館に週1回通った時期もあるというのに・・・なんとも寂しい状況であります。
さ てなにを観たかといいますと・・・「TAKESHIS'」、北野武監督最新作。なにを隠そう、私は北野作品のファンなのです(「HANABI」や 「DOLLS」といった、いわゆる“きれいめ”なものはまだ観ていないのですが)。観たものは全て外国でだったためか、日本にいて観るのとは、もしかした ら少し感じ方が違うのかもしれませんが、ともかく常に新鮮でオリジナル、どんどん進化しているのがまたすごい。
「座頭市」にしても3回見てしまった私としては、この新作にも期待を膨らませまして、開演ぎりぎりに入場。
予 告編で、<SAYURI>(メモリー・オブ・ゲイシャ)の主役があのチャン・ ツィー・イーだということを初めて知り、ちょっと複雑な心境に。チャンツィーイー綺麗でかわいいし(「初恋の来た道」でのあどけなさ、一途さが忘れられな い)、私好きなんですが、この役は日本女性にやってもらいたかったなァ。確か何年も前からこの役公募の話は聞いていましたが、オーディションを重ねた挙句 に結局、日本人ではこれ!という人が見つからなかった、ということなのでしょうか。英語もネックなのでしょうか(さすがに工藤夕貴さんはおさえてます ね)・・・確かに、中国、韓国の俳優さんは「見た目だけ」ではない、才能ある人材が豊富。映画での大画面では演技の深さや質があからさまになってしまいま すから・・日本にも、テレビの枠にはおさまりきれないくらいの演者が出てきて欲しいですね。しかし観るほうが「萌え~」とか言っている世界では、なかなか むずかしいのでせうか。
さ てなにを観たかといいますと・・・「TAKESHIS'」、北野武監督最新作。なにを隠そう、私は北野作品のファンなのです(「HANABI」や 「DOLLS」といった、いわゆる“きれいめ”なものはまだ観ていないのですが)。観たものは全て外国でだったためか、日本にいて観るのとは、もしかした ら少し感じ方が違うのかもしれませんが、ともかく常に新鮮でオリジナル、どんどん進化しているのがまたすごい。
「座頭市」にしても3回見てしまった私としては、この新作にも期待を膨らませまして、開演ぎりぎりに入場。
予 告編で、<SAYURI>(メモリー・オブ・ゲイシャ)の主役があのチャン・ ツィー・イーだということを初めて知り、ちょっと複雑な心境に。チャンツィーイー綺麗でかわいいし(「初恋の来た道」でのあどけなさ、一途さが忘れられな い)、私好きなんですが、この役は日本女性にやってもらいたかったなァ。確か何年も前からこの役公募の話は聞いていましたが、オーディションを重ねた挙句 に結局、日本人ではこれ!という人が見つからなかった、ということなのでしょうか。英語もネックなのでしょうか(さすがに工藤夕貴さんはおさえてます ね)・・・確かに、中国、韓国の俳優さんは「見た目だけ」ではない、才能ある人材が豊富。映画での大画面では演技の深さや質があからさまになってしまいま すから・・日本にも、テレビの枠にはおさまりきれないくらいの演者が出てきて欲しいですね。しかし観るほうが「萌え~」とか言っている世界では、なかなか むずかしいのでせうか。
何はともあれ、コン・リーも久しぶりに見たいし、スピルバーグが芸者の世界をどう描くのか、いろんな意味で興味はひかれました。
ちょっと横道にそれましたが、さて本編。
ス トーリーに関しては、観ていらっしゃらない方のために詳しくは語れない・・・というよりも、語ること不可能?とにかく私個人の感想としていえるのは、たけ しさんの天才を確信したということです。すべてがコラージュされリンクしている手法、かわし、かわしの連続。過去の自作品のシーンまでパロディ(いやオ マージュというべきか)として登場し、わかる人は「にやっ」とできる仕組み。カンヌでも、観客がどうリアクションしてよいかわからずにとまどったそうです が、確かに、理解し難いと思う人も多いでしょう。これまでの映画における北野語も残しつつ、また誰にも追いつけないようなあらたな領域へ、あのいつもの何 でもないような顔でひょいと飛んでしまったような。なにかの番組で「『自分は映画監督だ』なんて思ってない、あくまでも遊び感覚だからこうしてやれてい る」というようなことをおっしゃっていたけど、それがまた天才のなせる業。
映画監督として、なぜか日本ではイマイチ評価されてないのかもしれないけど、これからも大いに期待してます!
ちょっと横道にそれましたが、さて本編。
ス トーリーに関しては、観ていらっしゃらない方のために詳しくは語れない・・・というよりも、語ること不可能?とにかく私個人の感想としていえるのは、たけ しさんの天才を確信したということです。すべてがコラージュされリンクしている手法、かわし、かわしの連続。過去の自作品のシーンまでパロディ(いやオ マージュというべきか)として登場し、わかる人は「にやっ」とできる仕組み。カンヌでも、観客がどうリアクションしてよいかわからずにとまどったそうです が、確かに、理解し難いと思う人も多いでしょう。これまでの映画における北野語も残しつつ、また誰にも追いつけないようなあらたな領域へ、あのいつもの何 でもないような顔でひょいと飛んでしまったような。なにかの番組で「『自分は映画監督だ』なんて思ってない、あくまでも遊び感覚だからこうしてやれてい る」というようなことをおっしゃっていたけど、それがまた天才のなせる業。
映画監督として、なぜか日本ではイマイチ評価されてないのかもしれないけど、これからも大いに期待してます!
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