金曜日, 2月 17, 2006

長崎の旅


先週、長崎へ行っていました。島原、そして熊本側の天草という、長い間弾圧の受難に耐えながら連綿と続いてきたキリシタンの歴史を駆け足で辿る旅でした。

今年は、フランシスコ・ザビエル生誕500年というとても大きな年。スペインはナバーラ出身のザビエルが、遠く日本にたどり着いてキリスト教を伝えたことは知られていますが、日本における西洋音楽事始の粗といえる人物だということはご存知でしょうか?わずか2年少しの滞在ながら、日本に大きな足跡を残したザビエル。そうして日本におけるキリスト教の歴史が始まっていきます。

長崎には、かつては全員がキリシタンだったという村もあり、そこここに素朴な教会が残っていて、今でもその末裔たちが細々と自分たちの教会を守っています。弾圧の時代「踏み絵」の舞台となっていた庄屋の屋敷や神社などを、キリシタンたちが必死の思いでためたお金で買い取り、そこに自らの手で建てたという教会。西洋風の外観から一歩中に入ると畳敷きになっていて、たった今まで信者たちが祈りを捧げていた息遣いが聞こえるような教会。はるかローマへ旅した天正少年使節が学んだセミナリヨ。37000人が非業の死を遂げた「島原の乱」の舞台となった原城跡。・・・旅のガイドをかってくださった神父様が、あまりおもてでは語られない歴史の事実を静かなやわらかい声で説明してくださり、そのたびキリシタンたちの生きた苦しみや、そのなかでも捨てなかった信仰の喜びがリアルにせまってきて、自分の中での処理が難しいほどでした。

1日目は、信者たちが殉教した海が目の前に広がる宿に泊まり、ねずみ色がかって白波をたてる海を見つめました。2日目は荒れる天気のなかフェリーで天草へ。今ならフェリーで30分ですが、あのころどのくらいの時間をかけて渡ったのでしょうか。夜は雲仙へ・・・ここの雲仙地獄も殉教地です。 翌朝は、関西からのカトリック巡礼団のご一行と出発時間が重なり、急きょ、ロビーにあったピアノでミニコンサートとなりました。バッハのコラール・プレリュードから「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」、そしてスペインの曲を演奏し、皆さまから温かいお言葉をかけていただいたのがとても印象に残っています。

この地の人々は、過去のこととはいえ、身体のなかには迫害した側、された側という歴史が刻まれていて、それをどこかに背負いながら生きているのかもしれません。この問題は今でも、微妙なしこりを残しているようです。
まだまだ多くの訪ねるべきところがあったのですが、それぞれが離れて点在しているため車移動でもなかなか思うようにはいかず、今回は入門編という趣となりました。これを足がかりに、まだまだ考えるべきことがありそうです。

短い滞在でしたが、九州は、関東とは違う文化圏なのだということを実感しました。韓国や中国、台湾にも近く、大昔から外に向かってとても開かれていた土地。南蛮貿易が栄え、鎖国中も国際的な雰囲気が残った長崎・・・鎖国や開国にも、実はこの地方のキリシタン問題が大きく関わっていたというお話を聞き、驚いたと同時に、今までいかに狭い頭で歴史をとらえていたかを痛感しました。

かつての激動の地は、今ひっそりと、海からの風に耐えながら佇んでいます―――

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