土曜日, 12月 31, 2005

聖夜に

23、24日は某・会員制高級ホテルでのクリスマスコンサート。歌手3人の方の伴奏とピアノソロで、合計4ステージを行いました。23日第1回目の本番中、ふと何気なく席のほうを見ると、あの大人気スピリチュアルカウンセラーの方が、なにやら打ち合わせ中。わぁ、ホンモノだ!とひそかに思いながら弾いていたのですが、歌手の方々は全然気づかなかったらしい。曲数が多く、当日になって曲が増えたり変わったりということもありうるので気が抜けない本番なのですが、お楽しみは終わったあとの「ル・コルドン・ブルー」のケーキ。(念のため、ケーキのためにやっているわけではありませんよ!)ちなみに、今年は総支配人からとても美味しいシュトーレンを頂戴し、とても嬉しかったのでありました。

クリスマスにむかってボルテージもあがっているだろう恋人たちで華やぐ街を通り過ぎながら、重い荷物を抱えて帰宅。駅から自転車に乗りながらふと速度を落とし、見上げると、済み通った空に星が瞬いていました。こんな風に夜の空を仰いだのは、いったいどのくらい久しぶりのことだろう・・・
小さいころ、とにかく空と雲と星が好きで、「雲博士」と呼ばれ、天文学者に憧れていた私。家の門の脇には大きい木があって、葉を落とす冬にはその細い枝枝の間から星がきらめくので「モチモチの木」と呼んでいたっけ。そしてその夜空は、もっと黒くて、もっとずっとばらまいたように星が見えた。いつまで眺めていても飽きなくて、寒さも感じなかった。

東京の夜空は、あまりにも明るい。その分、星の姿は影をひそめて、私はなんだか悲しいのです。
イエスを祝福するためはるばる旅した三賢王も、きっと宝石が降るような夜空の下を歩いていたのでしょうね。
メリー・クリスマス。

月曜日, 12月 26, 2005

グラシアサロンコンサート第3回


22日(木)はグラシアサロンコンサートシリーズⅠ<スペイン音楽はいかが?>第3回公演。グラナドスのスペイン舞曲全12曲を、トークを交えながら演奏しました。「クリスマス前で気分もいいしね!」と少々安直な動機で選んでしまったこの日にちでしたが、実際はとんでもない、会社の忘年会、連休前、残業・・・などなどで「行きたくても行けない!」という方が続出してしまいました。皆勤を狙っていたのだけど、、、という方もいらっしゃり、申し訳ありませんでした!

それでも、当日になるとほぼ満員のお客様がご来場くださり、師走の多忙をしばし忘れて楽しんでくださいました。第5番「アンダルーサ」や第2番「オリエンタル」はよく知られていますが、全曲が演奏される機会は意外に少ないこの作品。「この曲が気に入った」「この曲でこんなイメージがわいた」など、具体的な感想を伝えてくださった方の多かったことが、新しい経験でした。
休憩時間には、スペインワインと、チーズを4種類。ワインを1本空けずに残して様子を見ていたのですが、全部空けておけばよかったなぁ、もっとお飲みになりたい方もいたのでは・・とちょっぴり反省。アルコールは飲めない方にはウーロン茶と、スペインではクリスマス時期に食べるトゥロンという甘いお菓子を召し上がっていただきました。でもこれ、多分と~っても甘かったと思います。ほんの小さい一切れで、エスプレッソ1杯飲めてしまうくらいかも。

終演後の打ち上げでは、飛び入りで多くの方がご参加くださり、飲んで食べてととても楽しい会になりました。こうして、初めて会ったお客様同士の交流が広がっていくのも、私にとってとても嬉しいことなのです。実は翌日、翌々日も違う本番が続く私でしたが、本番が終わった日の夜にそんなことを考えても始まらない。今日は今日、明日は明日なのでございます。で、いつも使う電車の終電時間をとうに越しての散会となりました。あとで聞けば、途中でお帰りになったのに終電にぎりぎり滑りこんだ!という方も。皆さんありがとうございました!  (撮影:ボックリ博士・中村義政さん)

義理と人情

今日(18日)は楽しみにしていた、久しぶりの文楽鑑賞。朝9時からの管理組合理事会は奇跡的に(?!)1時半前に終了、お昼をちゃんととってから出かけることができました。

高校生のとき初めて歌舞伎を観て、すっかりはまった私ですが、その後、映画のような世界の文楽にも感動し、時々ひとりで行っていた国立劇場、なつかしい・・・。学生でも可能なお値段で入場できるのが、とてもいいですよね。今回の公演に招待してくださった方(今日出演の某家元のご夫人で、著名なオペラ歌手)によれば、最近文楽も大人気で、チケットがすぐに売れてしまうとか。今日は鑑賞教室になっていて、浄瑠璃のあいだに解説が入る楽しい会。もちろん満員です。びっくりしたのは、オペラのように舞台の上部両側に字幕スーパーが出るようになっていたことです。これは、非常にわかりやすい!

演目は、よく知られる<鬼一法眼三略巻~義経と弁慶~・五条橋の段>と<新版歌祭文・野崎村の段>。線が細く華麗な少年義経にうっとり、はたまた<新版歌祭文>では「これぞ日本の美徳!というところなのだろうな」と思いながらにんまり。実際に起きた心中事件が元になっているこの作品、「こうあってほしい」という庶民の願望を反映する形で、観たもののカタルシスを誘う役割もあったのかも、などと想像しました。また、以前とは自分の感じ方変わっているのがわかりました。

そして解説のコーナーでは、語り上手な義太夫と三味線奏者の方が“音楽と語り”についてや楽器や道具のことなど、人形遣いの方は人形を実際に操って例を挙げながら、いろいろ説明をしてくださったのがとてもわかりやすく、おもしろかったのでした。確かに、これを聞いたあとでは、音楽や唄が舞台で繰り広げられている場面とよりよく組み合わさり、一体となって自分の中に入ってくるような気がしました。
3人遣いの人形操作は世界にも類がないとのこと、美しく、日本の誇るべき高度な総合芸術である文楽(ユネスコ認定・世界無形遺産)。ぜひ皆さんも足を運んでみてくださいね!

土曜日, 12月 10, 2005

無人島には必ず持っていこう

先日、やっと岡野玲子さん画・夢枕獏さん原作「陰陽師」最終巻を手に入れました。いや、まだ新刊だし人気の本なので、普通の本屋さんに行けば平積みにされているのですが、最近はもう古本屋さん(アヤしげな本屋から、BOOK ・・Fのようなチェーン店まで)しか寄らなくなっている私。作者さんには大変申し訳ないな、と良心の呵責は感じつつも、もう止まらない古本屋通い。「陰陽師」(全13巻)も半分はこういったお店でゲットしているのです。カバーや中身が新品同様に綺麗な状態のものに出会うまでは、買わずに見過ごすのがまた快感。新刊も、少し我慢して待てば、必ずどこかに現れるのであります。

今をさること20ウン年前、マンガ単行本を初めて自分で買った記念すべき作品「日出処の天子」の作者・山岸涼子さんの文庫版作品集や、岡野玲子さんの本は、少しずつこういうところで集めました。(ちなみに次に狙っているのは、これも少女時代衝撃的だった竹宮惠子さんの作品。萩尾望都さんの全集なら持っているんですけどね。このお2人の心理描写は素晴らしい。)「イスラムの蔭に」という本にページが反転した印刷ミスを発見して、105円に値下げしてもらったことも。そんなときは足取りも軽く(手元は重く!)お店を出て、ついそのへんで珈琲タイムをとってしまったりします。

街の書店さんには、基本的に雑誌と売れセンの本しかないし(というのは偏見ですねゴメンナサイ)、ジュンク堂や紀伊国屋書店、LIBROなどの大規模書店にも時々寄りますが、逆にたくさん本がありすぎて「おっ!」という掘り出し物に出会うのはちょっと難しい。その点、古本屋というのは浪漫があります。池袋の某所で「マニアックだなぁ~」とうなりながら、ほとんど人のいない店内(しかも地下)で時間を忘れて棚をあさっていたら、上からご主人が降りてきて「もう閉めるんだけど。」と言われてしまったことも。

今年のコンサート本番が全て終わったら、知人から借りた整理術の本を参考にして、大胆に家の中のモノたちを処分するつもりでいるのですが、本とCDと楽譜だけは・・・永遠に“がらくた”にはなり得ませんね!

水曜日, 12月 07, 2005

えっさ、ほいさ・・・

今年も11月20日前後から、クリスマスの飾りが早々と現れ始めました。まだ色づいた木々の葉も落ちないし冬のコートも出していないころ、これからひと月以上も「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」を聴く羽目になるのか・・・と、いつもちょっぴりゲンナリしてしまう私です。でも12月に入って青空が冬の顔に変わり、吐く息も白くなってくると、日に日に盛り上がっていく街のクリスマスムードにこちらの気分もウキウキしてくるのですから、なんともゲンキンなものです。

さて2006年は生誕250年のモーツァルト・イヤー。1月に誕生したということもあり、来年早々からモーツァルトプログラムのコンサートも目白押しなわけですが、先日、先駆けて行われたある記念演奏会に行ってまいりました。

しかし・・・。正直申し上げてわたくし、非常に吃驚したのでした。それは“1”と“2”、上と下しかない、まさに農耕民族のモーツァルトだったのですよ。想像してください、フレージングもオペラティックな会話も、場面転換の休符の意味もなく、まるでシベリア鉄道の車窓からの景色のような(乗ったことないですけど)、一色の変化もない音楽。ある意味、遊びのないモーツァルトってこんな風になっちゃうのですね、という発見です。奏でていらっしゃるのは、名のあるオーケストラの精鋭メンバーからなる合奏団―――

ホールのせいなのかしら(ホール自体はとてもいいホール)、私のいた席のせいなのかしら、なんなのかしら一体これはっ?!と、くらくらしながら会場を出た私。シンフォニーの間にはさまれたピアノ協奏曲でのピアノだけが、音楽的な空気を発していて、それが聴けただけでもよかった~と思いました。ピアノソロが自由に遊びたいパッセージで、なぜか指揮がイチニ、イチニと(決して小さくなく)テンポをきざんでいたのも、ヒジョーに気になってしまいました。モーツァルトのピアノコンチェルトは、オケがプロなら指揮ナシが一番楽で、お互い真剣に感じとろうとするから結果的に音楽がより濃くなる、と思っているのは、私だけかしら。う~ん。この経験のあと私は、1週間以上も悶々としてしまったのでした。

モーツァルト・イヤー、生き生きとしたモーツァルトがどうかたくさん聴けますように。合掌。