月曜日, 9月 26, 2005

秋の香り

サ ウジアラビア大使館主催・サウジ建国記念日のパーティーに伺いました。開始時刻前からかなりの人。さすがに いろいろなお国の方、民族衣装の方がいらっしゃり、日本ではないような雰囲気でした。ルイス・ガルベ(私の敬愛するピアニスト)の奥様から聞いた、アラブ の王族の館に招かれたときのお話を思い出して、彼女がとても美味しかったといっていた、あのチーズに蜂蜜がかかったお料理はあるのかな、と探してみました が、見当たりませんでした。そして、もちろんお酒類はなしで、美味なるお食事の数々を楽しませていただきました。お国の方とお話してみたかったのですが、 残念ながらその機会はあまりなく、そのかわり、いろいろな分野でご活躍の日本の方々に、興味深いお話を聞くことができました。

帰りは、ま だそんなに遅い時間ではなかったので、駅から家まで歩きました。夜になるともう、うすいカーディガンをはおっただけでは肌寒いころになりましたね。今年 は、秋の訪れが少々早いような気がします。去年の9月中旬に奏楽堂で行ったリサイタルの日などは真夏の蒸し暑さで、上野公園内をホールまで歩く間に20箇 所くらい蚊に刺されて、両足が赤い水玉模様になってしまったのに・・。秋は大好きな季節、でも、青空が見えないと・・やはりさみしいですね。

マンションのゲートをくぐろうとしたとき、周りの生垣からほのかにいい香りが。花も白いし、銀木犀に似た香りと思ったけれど、違うのかな。
私 にとって、「香り」は新しい季節の訪れや天気の変化を知らせてくれるもの。そして「視覚」よりももっとずっと強く、過去の想いや出来事を呼び起こしてくれ るものなのです。毎年、秋が来た!と実感させてくれるのは金木犀の香り。遠くからでも「私はここよ!」って気づかせてくれて、本当にいい匂い。それにくら べて銀木犀はもう少し秘めやかで、こちらも私は好きです。  

そういえば、韓国ドラマ<夏の香り>のなかで、主人公が「蓮の花って、どうして遠くに咲くか知ってる?遠くのほうが、もっとよく香るから」というようなことを言っていたっけ。蓮の花って、どんな香りがするんだろう・・・

水曜日, 9月 14, 2005

カンテ・ホンドにつつまれて

14日は、演奏会開演2時間前に新宿文化センターに到着。リハを終えたフリオと近くの喫茶店でお茶をしましたが、ホールを出る際、日本側のマネージャーに「ど、どこに行くんですかぁぁ」と異常に心配されたらしい。このことだけではなく、来日1週間を待たずして、日本式コントロールにかすかな違和感を感じてきているようです。ふっふっ。日本は、invisibleなコントロールと完璧なるマニュアルによって、ここまでやってきたのだよフリオ君。そしてマニュアルがなければ動けない人種になってしまったのだ。と、このフレーズは口に出しては言いませんでしたけれどね。いくら聡明な彼でも、10日あまりの滞在でそこまで見えるかといったら難しいかもしれないけど、望まないタイミングで人から教えられて夢を壊されるより、自分の目と肌で経験して確かめたほうが断然いいですもの。


さて開場と同時に中に入り、ロビーで仕事をしていると、スペイン・ラテン音楽研究の第一人者H先生やスペイン人フラメンコダンサーのAさん、私の通っているスペイン舞踊研究所主宰のO先生などが続々ご来場。私にとってこの「ロルカの歌」のコンサートはこれが3回目ですが、もちろん日本では初めての公演。CDも持っているけど、やはりライヴはいつもわくわくします。

カルメンを支えるバンドのメンバーは、ギター2本、ヴァイオリン、フルート、コントラバス、パーカッション、そしてパルマ2人。ほとんど私が知っているメンバーですが、パーカッションの女性は初めてでした(上手い!)。あとで聞いたら、前のメンバー“ガリ”は亡くなられたとのこと。私が彼と知り合ったときには、すでに肺がんにおかされていて、多分もう長くないと本人も知っていました。でもそんなことはまったく気にとめていないかのように明るく、すごく楽しい人で、私は大好きでした。天国でもきっと楽しくやっていることでしょう。安らかにお眠りください・・。

さて途中で、フリオがエレキコントラバスに持ち替えようとした瞬間、ハウリング発生。フリオ自身が手元で操作してもどうにもダメ、仕方なく彼は袖に消え、しばらくベースなしで演奏が続きました。一瞬ヒヤッとしたけれど、こういうアクシデントはライヴにはつきもの、どうってことはありません。少しして解決し、事なきを得ました。それにしても、前日にエキスパートがどうのという話をしたばかりだっただけに・・・私としてはちょっぴりばつが悪かったかな。

カルメンが歌いすすむにつれ、ステージも会場もどんどん熱を帯びていき・・・演奏会は休憩なしで9時過ぎまで続きました。ほんとに何回聴いても、いい!この素晴らしさを言葉にしようと思うけどなかなかできません・・・これはぜひ、また機会があったら皆さんにも聴いていただきたいです。

終演後は、メンバーのための特別バスに同乗してホテルまで戻り、ちょっぴりいい気分。ホテルのレセプション近くで「何か食べに行こうか」と話していると、ヴァイオリニスト・天満敦子さんをお見かけしました。ものすごくご無沙汰してしまっていた私は飛びあがって彼女を呼びとめ、ご挨拶。いつものようにとても気さくな天満さん「また、演奏会教えてね」と言ってくださいました。嬉しいお言葉です。こちらこそ、また聴きに伺います!

近くでラーメンを食べて、終電間際で帰宅。そういえば昨日も終電間際だったなぁ。疲れたけどいい1日でした。

火曜日, 9月 13, 2005

“哲学者”フリオ初来日


カルメン・リナーレスがSpanish Music Festival in Japan 2005の一環で来日、ツアー中。コントラバス奏者として彼女のグループに参加しているフリオと、感激の再会を果たしました。彼は作曲家・コントラバス奏者で、表面的ではないインテリジェンスを持つ人。共演したり、私の2枚目のCDにコメントを寄せてくれたり、また、音楽にしろなんにしろ深さの点でリミットのない話ができる、尊敬する友人のひとりです。

東京公演の始まる前日のこの日は、スペインからの友人を連れて行くのがもはや恒例となってしまった、渋谷の某沖縄料理店へ。沖縄料理はヘルシーだし種類も豊富、食材も珍しくて美味しいと、いいことづくめ。誰を連れて行っても困ることはありません。

彼は空港に到着した時点から、すべてが完全にオーガナイズされている日本社会に驚きを隠せないといった様子で、今のところは居心地がいいようです。スペインとの大きな違いは、各自の持つ責任感(しかも各自の立場に適合する)であると、彼は分析。それは確かにね。スペインでは、役所などに行っても訊く人訊く人それぞれが違うことを言うので、こちらは混乱するばかり。さんざん嫌な思いをした結果、「ボスを見つけて直談判するのが一番の早道だ」と学んだものです。

リハーサルでのことを引き合いに出しながら「スペインでは、100人いたら100人ともが、エキスパートのつもりで口を出すんだよな。でも実際は、エキスパートレベルの仕事はしない。ここはさすが、無駄のない答えが返ってくるし、彼らにまかせておけば安心だよ。いや実に気持ちがいい」

・・・何ごとにも表と裏の両面がありますから、どちらがいい、とは一概に言えませんが、「仕事が進む」「仕事がしやすい」という点では確かに、日本に軍配が上がるかも。

普段はカメラなど興味ないフリオも、国で待つ彼女のためにもさすがに渋谷の街は写真に収めておきたくなったようで、「ちょっとのあいだ観光客になるのを許してくれるか」。どうぞどうぞ、ここへ来れば誰でもそうなるのだから、気にしないで好きなだけ撮ってね。せっかくだから“センターガイ”やヤマンバちゃんも見せたかったのだけれど、平日だったので彼らの姿はまばらでした。

翌日は演奏会!その模様は次の日記で・・・

日曜日, 9月 11, 2005

6年ぶりの再会

11日 はカルラホールへ。かつてウィーンで何度か講習を受けたことのある、シュテファン・メラー(モェラー)氏のリサイタルです。前半は十八番(おはこ)のべー トーヴェン、ソナタ「テンペスト」と「ワルトシュタイン」。幻想的に始まる「テンペスト」の冒頭から、いつも耳にしているこのピアノの音と違う!温かくて 繊細・・・「ワルトシュタイン」では、構築性と疾走感が絶妙のバランスでベートーヴェンの世界を織りなしていき、お客様は大満足でした。

後 半は奥様との連弾で、シューベルト、モーツァルト、ブラームスで楽しませてくれました。アンコールが終わってから、花束を渡したときのメラー先生の 顔・・・私がいるとは思わなかったのか、目を見開いてびっくりなさっていました。私のほうは、彼の手がとても冷たかったのにびっくりしましたが。

さ て、終演後は、経堂駅に近いカルラ組行きつけ居酒屋へ。この日は、1年ぶりにイギリスから帰ってきた友人、我らがボスMさんも一緒で、私は彼女とメラー先 生にはさまれて座り、宴も盛り上がりの予感が。メラー先生に会うのはなんと6年ぶりでしたが、そんなブランクも感じられず、竹酒を酌み交わしつつ話が弾み ました。真顔で、ちょっと斜めなジョークが飛び出すのも相変わらず。奥様も若くて素敵な方で、よいパートナーと出会われてよかった、と私は心の中で祝福し ておりました。

さ てウィーンやハンブルグなどの音楽界の状況について話していたとき、奥様のスザンナさんが「ウィーンは今、閉塞的で憂えるべき事態にあり、この誰もが認め る音楽の聖地の行く先が心配だ」とおっしゃると、メラーさんはボソッと「いやっ、ぼくはそうは思わないケド・・・」、でも奥様には聞こえてない。う~んや はり、どこでも女性は強いのか。なんだか、微笑ましい光景でした。

おなかも酔いも程よいところで、お開き。メラーさんとの再会、そしてスザンナさんとの出会いに感謝し、お別れしました。今度は、ウィーンで会いたいなぁ。

金曜日, 9月 09, 2005

ある1週間の生活

28日、NHKのスタジオにて、スペシャル番組のための音楽録音。29日赤坂のスタジオにて伴奏合わせ、30日、チェロの伴奏で平井丈一郎先生監修の演奏会に出演。31日、ピアノ練習に加え事務雑務に精を出して、夕方は去年12月に共演したサクソフォニスト・容子さんが遊びに来ました。祝・ご結婚!91日、次の作品の翻訳に着手。2日の午後はお弟子さんをレッスン、その後、当マンション・本の読み聞かせサークル主催で開かれた「お楽しみ会」にて、子供たちに絵本を朗読。

3日、朝9時から太極拳。数時間ピアノに向かってから、昼食もそこそこにフラメンコスタジオへ。充実のレッスンのあと水分を補給し、新橋の「ギャラリーKYO」で開かれている日韓共同アートプロジェクト、AM(artists&models) ~日本人アーティストと韓国人モデルのコラボレーション~ のオープニングパーティーへ。

友人のlittle fishさんがコミック作品で参加していて、ワインを飲みながら彼やその友人たちと談笑。しばらくして、フランス人アーティスト・ボワレ氏とオレリアもやってきて、後半はみんなで床に座り、3グループによるライヴパフォーマンスをまったりと楽しみました。アットホームでなかなかよかった。

ライヴ終了後、10人ほどで近くのモツ料理店へ。「もつ福」というその名前に、フランス人2人「Bonheur de tripes!?」と大受け。私はウコン焼酎割りを頼み、モツ料理の数々を美味しくいただき、終電間際に帰宅。2時少し前就寝。

4日、京都から東京へ着いたパコ・ファミリー(パコについては7/20の 日記をどうぞ)、彼の友人で、私の友人(チェリスト)の生徒さんでもあるKさんと、「丸ビル」でランチ。ひと月ほど前から東京で仕事の研修をしているサラゴサ出身の友人・ホセルイスも電話で呼び出し、合流(彼も、サラゴサでパコの日本語講習を受けていました)。夕方、後援会の会報制作についてKさんと打ち 合わせのため、吉祥寺へ。基本的な体裁のメドがたったところで、私の歌唱力判定との名目でカラオケに行き、歌いまくったのち、強い雨のなかを帰宅。その 後、1時半まで翻訳、2時就寝。

5日、午前中は家事、ピアノ、事務処理。お昼過ぎ、忘れ物をして2回も家に戻る、というおっちょこちょいをしながらも、日本画家の福田さんのアトリエへ向かい、なんとか定時に到着。この日は、私をモデルに描いていらっしゃる作品のため、顔のデッサンです。「本当は、モデルの方に途中段階の絵をお見せすることはめったにないんだけど・・・」とおっしゃいながら、大きさが畳2枚ほどもある下描きを見せてくださいました。ピアノの横に立つ私は、実物よりも大きい!これが、彩色され作品となって、展覧会場の壁面にかけられるなんて・・・夢のようです。会期が近くなったらまた、皆様にお知らせいたします!

この日は、同席なさっていた刀研師のS先生に、数年後伊勢神宮に奉納されることになる宝刀を見せていただきました。これで見納め、奉納されたらもう、人目に触れることはないのです。ずしっと重く長い直刀、不思議なエネルギーを感じました。夕食をご馳走になり、帰宅。少々ピアノに向かい、その後は翻訳。しかし、5ページ進んだところで眠気に負け・・・メールをチェックして、おとなしく1時に就寝。

こんな感じで続く、日々であります。

金曜日, 9月 02, 2005

虫の声

先日、渋谷の沖縄料理店にて友人SYとお食事しました。我ら3人は、8年ほど前に行っていたフラメンコのクラスで1年弱一緒だっただけなのですが、なぜかとてもウマが合い、今でも年に23回のペースで集まっては大いに食べて飲み(3人とも男性顔負けの食べっぷりなのです)、かつ笑いまくって、女子高生も真っ青の盛り上がりとなります。

Sは大手建築会社に勤め、ただ今一級建築士めざして試験勉強中、Yは女性だけの職場でバリバリ働き(その分お休みは年に数日しかない)、自分のマンション購入を計画中・・・という具合に、2人とも初めて会ったころより頼もしくなったけど、いつ会っても全然変わらずピカピカしていて、とっても元気になれる友達なのです。

そのSちゃんはいつも、人とはちょっと変わった点に興味を持つ人。この日も「ミンミンゼミって、5回目で「ミ~ン」が止まるよね!?今度確かめてみて」とか、「ツクツクボウシは『ホーシ・ツクツクホーシ・・・』って、実際はホーシから鳴き始めるよね?!」とか。Yちゃんと私は「う~ん、そうかも」「今度、気をつけて聞いてみる」と素直な反応。それをきっかけにセミの話になりましたが、Sちゃんの疑問はさらに続き「セミって、どーしてあんなに大きな音を出せるんだろうね?なんで?どうなってるの?」

私「羽をこすってるんでしょ?」S「でもさ、それだけでなんであんなに大きい音になっちゃうの?」Y「確かに不思議」

その後、毎日セミの声を聞きながら「ミ~ン」の数を数えてみたけど、時々6回のも7回のもいました。でも確かに、5回で止まるのが平均のようです。

<*ツクツクボウシについて非常に興味深いページを発見!題して「ツクツクボウシはどう鳴くか」。ツクツクあと先問題のほか、鳴き方を「序奏・主奏、変奏、終奏」と分けて曲にした解説も。どういうしくみで鳴いているかもわかります。さっそくSちゃんに教えてあげよう。>

さ て日本語は擬音語、擬態語が豊富ですが、特に「自然」が奏でる音、虫や鳥などの鳴き声の表現がとても面白いと思います。先ほどのツクツクホーシ(つくつく 法師)とかうぐいすのホーホケキョ(法・法華経)、仏法僧(と鳴くのは、ブッポウソウではなく実はコノハズクだそうですが)などと、日常耳にする音を仏教 的に聞いた人たちがいた時代の空気を想像するのが好き。しかしこれ、翻訳の折にはとっても苦労する点なのです。

こ の夏、「日本」がテーマの漫画短編集をスペイン語に訳していたときのこと。ある作品は吹き出しがほとんどなく、パッと見「これは楽!」と思いました が・・・とんでもない。出てくるのはきりぎりす、クツワ虫、松虫、鈴虫、などの昆虫の名前、早速調べてみたものの、スペイン語ではもう大ざっぱに、〈コオ ロギか、バッタか〉くらいの分け方しかないのですね。「あ~ん、みんな“コオロギ”になっちゃう!でも違う虫なのっ、鳴き方が全然違うのよ~ッ」

ま た、日本人なら、松虫は「チンチロリン」、鈴虫なら「リーリーリー・・」と、鳴き声の音色やその季節感まで思い浮かべることができますが、これやっぱり日 本特有の感覚なんですね。ここに<日本>があるのだから、鳴き声もなるべくそのままうつしたいと思うのですが、そうすると、ただでさえ擬音語が乏しい国の 人々がイメージできる「虫の声」の範囲を逸脱してしまい、「何じゃこりゃ?」となりかねない。悩むところです。

さて今年はかなり耳についたセミの声ですが、8月の終わり頃からは地面でひっくり返っている姿をよくみかけるようになり、とうとう聞こえなくなりました。朝夕に聞こえる虫の声も、少しずつうつりかわっています・・・

あぁ、もう夏も終わりなんですねぇ。