水曜日, 12月 07, 2005

えっさ、ほいさ・・・

今年も11月20日前後から、クリスマスの飾りが早々と現れ始めました。まだ色づいた木々の葉も落ちないし冬のコートも出していないころ、これからひと月以上も「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」を聴く羽目になるのか・・・と、いつもちょっぴりゲンナリしてしまう私です。でも12月に入って青空が冬の顔に変わり、吐く息も白くなってくると、日に日に盛り上がっていく街のクリスマスムードにこちらの気分もウキウキしてくるのですから、なんともゲンキンなものです。

さて2006年は生誕250年のモーツァルト・イヤー。1月に誕生したということもあり、来年早々からモーツァルトプログラムのコンサートも目白押しなわけですが、先日、先駆けて行われたある記念演奏会に行ってまいりました。

しかし・・・。正直申し上げてわたくし、非常に吃驚したのでした。それは“1”と“2”、上と下しかない、まさに農耕民族のモーツァルトだったのですよ。想像してください、フレージングもオペラティックな会話も、場面転換の休符の意味もなく、まるでシベリア鉄道の車窓からの景色のような(乗ったことないですけど)、一色の変化もない音楽。ある意味、遊びのないモーツァルトってこんな風になっちゃうのですね、という発見です。奏でていらっしゃるのは、名のあるオーケストラの精鋭メンバーからなる合奏団―――

ホールのせいなのかしら(ホール自体はとてもいいホール)、私のいた席のせいなのかしら、なんなのかしら一体これはっ?!と、くらくらしながら会場を出た私。シンフォニーの間にはさまれたピアノ協奏曲でのピアノだけが、音楽的な空気を発していて、それが聴けただけでもよかった~と思いました。ピアノソロが自由に遊びたいパッセージで、なぜか指揮がイチニ、イチニと(決して小さくなく)テンポをきざんでいたのも、ヒジョーに気になってしまいました。モーツァルトのピアノコンチェルトは、オケがプロなら指揮ナシが一番楽で、お互い真剣に感じとろうとするから結果的に音楽がより濃くなる、と思っているのは、私だけかしら。う~ん。この経験のあと私は、1週間以上も悶々としてしまったのでした。

モーツァルト・イヤー、生き生きとしたモーツァルトがどうかたくさん聴けますように。合掌。

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