金曜日, 5月 26, 2006

レオナール・フジタ

先日、国立近代美術館で開催されていた藤田嗣治展に行きました。到着は午後2時40分ごろだったかな。久しぶりだなぁここに来るのも、なんてのん気に思いながら近づいていくと・・・なにやらのろのろとうごめく、たくさんの頭。「もしや!?」と思ったら、やはり、入館するための長蛇の列ができているのでした。生誕120年、また初公開の絵画もあるということもあってか・・・それとも、もともとフジタはファンが多いのかな。こんなこと予想してなかったよ~と思いながら、列を逆にたどっていくと、最後尾に「70分待ち」のプラカードを持った青年。しかし、ここまで来たからにはなにが何でも入らねば、いやそれよりもフジタを観たい!と、列に加わりました。

入館できたのは4時近く。案の定、中もイモ洗い状態で、入り口付近は絵に近づくことさえできません。こんな状況、外国の美術館ではあり得ないけどなぁ。それほど、美術展を見たいという人が多いのか、美術館が小さすぎるのか。ともかく、周りにひしめくたくさん人の存在はなるべく感じないようにして、絵との対話を試みます。エコール・ド・パリの時代から・・・

やはりフジタといえばパリ。モディリアニやスーチンと親しく交わり、どんな毎日を送っていたのだろう、と裸婦像を観ながら想像してみました。(何人もの女性と結婚や同棲をくり返しているから、やはり情熱的だったのでしょうね。)「三王礼拝」などでは、なんとなくジォットを思い出しました。宗教画は、私は中世のものが好きなのです。フジタといえば繊細な線と、油彩なのにまるで墨絵のような絵の印象を強く持っていたので、初めて目にした戦争画には驚きを覚えました。長いパリでの生活のあと、中南米へ渡り各国を回っていたときの画風も、色彩が力強く、感性というものは環境に刺激を受けてどんどん変わっていけるものなのだとよくわかります。その後久しぶりに日本に帰るものの、日本の美術界は彼にとまどい、結局彼は“異質”な存在のままパリに戻りそのまま定住、フランスの地で生涯を終えることになります。パリこそは彼にとって、自分が自分らしく自由でいられる安住の場所だったのですね。。。わかるような気がします。

無事、最後まで鑑賞し、おばさまたちが洋服を奪い合うバーゲン会場のようなポストカード売り場で、どうにかこうにかカードを購入し(こうやっていつも葉書を買うのですが、手紙として全部どなたかに送ってしまうので手元には残りませんが)、そのまま歩いて神保町へ。とくに目的もなく古本屋をハシゴし、最後にお気に入りの「上島珈琲」で休みました。今だけ限定メニューの胡麻ミルク珈琲、超美味ですよ!う~ん、幸せ・・・

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