木曜日, 1月 11, 2007

ポスト・モーツァルトイヤーに

美味しい上海蟹を食べに行こうという誘いをお断りして、夜からモーツァルトばかり弾いていました。
本当はいろいろバランスよく弾いたほうがよいのだけど・・・というのも、例えばスペインものを弾く私とモーツァルトを弾く私では別人格があらわれているし、音色も重みも表現するための奏法も違う。だから一方だけに集中してしまうと、身体がそういう仕様になってしまって、なにかが偏るような気がするんですね。最終的に演奏会プログラムにのせるものは向き不向きも含めて取捨択一していくとして、やはり普段はいろんな時代・スタイルの曲を弾いていたほうがいいと思いますよ、皆さん!

でなぜ、私はいまモーツァルトを弾いているのか。モーツァルトイヤーで日本中が狂騒した年が、よりによって過ぎたあとに?・・・ひとつは、私の天邪鬼精神にあるでしょう。そして、人様から難しいよといわれ、また自分も難しいと思っていたことへの挑戦でもあります。
モーツァルトっていうのは、心が濁っていると最初の一音でそれがばれてしまう!という恐ろしさがありますが、逆に言えば、弾けば弾くほど純化されていくということになるかもしれませんね。「そこにはただ、音楽がある。」というある意味単純なところが、これだけ普遍的に愛される所以のひとつなんでしょうか。

そんなふうにモーツァルトと向き合いつつ、明日は、手塚治虫さんの虫プロによる、知られざる「親子で見れない」アニメ作品を観に行っちゃおうかと思ったりしています。

0 件のコメント: